アンダーアーマーは、なぜカリーと契約できたのか

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カリーはなぜアンダーアーマーを選んだのか

 

2015年11月17日

ゴールデンステート・ウォリアーズは、本拠地のオークランドでレトロ・ユニフォーム(昔のユニフォームをモダンにデザインした)を着てラプターズとの試合に望んでいた。ウォリアーズのエースであり、MVPのステフ・カリーは、

ロッカールームでアンダーアーマーのカリー2のシューレースを結び、世界で最も人気があるワームアップをしにコートへ向かった。何千人ものファンが、ステフのルーチン・ワームアップを見に、試合開始の1時間以上も前にアリーナにやって来る。その数が増えていった様子を間近で見てきたウォリアーズのヘッドコーチのスティーブ・カーは、カリーの人気は往年のジョーダンと同じような「現象」だと表現した。

ワームアップが終わり、熱狂しているファンたちが待っているトンネルを抜けて来た時、カリーは短く履いたショーツについて微笑みながら弁明した。「今日はベイズモア・スタイルなんです」

ベイズモア・スタイルとは、ケント・ベイズモアがよくしていた格好で、短いショーツをブリーフよりも短く履くスタイルの事だ。ベイズモアは元ウォリアーズの選手で、2012年のドラフト外でNBA入りしたウィングの選手だ。ベイズモアは、ウォリアーズのルーキー時代には試合にすら出られなかったが、カリーにとっては「持っている」ヤツだった。

カリーは、自分自身がアンダーアーマーの1番のスポークス・パーソンであるにも関わらず、ベイズモアを1番のスポークス・パーソンだと言った。

カリー:「ベイズモアはいつも(アンダーアーマーの)新作を着ているんです。わたしのシューズも履いています」

ベイズモアはよくカリーのシグニチャー・シューズを履いている。そして、アメリカの多くの若者たちもそのムーヴメントに加わっているのだ。

 

2016年3月3日

ビジネス・インサイダーは、モルガン・スタンレーのアナリストであるジェイ・ソールからアンダーアーマーの予想収益を教えてもらった。それによると、カリーが生みだしているアンダーアーマーの価値は、驚異的な数字で試算されていた。その価値なんと1.4兆円(およそ。以下$1=¥100換算)!



ソールの見立てでは、アンダーアーマーは安定しているとは言えないそうだ。現状のアンダーアーマーの収益は、たったひとりの影響力によって変わってしまう状態だからだ。

ソール:「現時点で、アンダーアーマーのバスケットボール・シューズのUSでの売上は350%以上アップしています。ステフェン・カリーのシグニチャー・シューズの市場規模は、ジョーダンを除いてはレブロン、コービーを含む他の選手たちのシェアよりも大きいのです。もしカリーが「次のジョーダン」であるならば、わたしたちの予想は(良い方に)外れるでしょう」

この「カリー現象」がどうやって誕生したのかを知っているファンは少ない。どのようにして、この世代で最も人気のある選手が、世界で最も大きなブランドの手からすり抜けていったのか? そして、どのようにしてアンダーアーマーがこの世界を熱狂させるトレンドを生みだす事ができたのだろうか?

 

2013年のオフシーズン

2012-13シーズン、カリーは78試合に出場し、ウォリアーズをカンファレンスのセミ・ファイナルまで導いた。同時に、ナイキにとってカリーと再契約する最初のチャンスだった。シューズ・ビジネスでは、契約しているという事はこの上ないアドバンテージであり特権でもある。

カリー:「ナイキとは長い間一緒にやってきました。ずっと一緒にやってきた会社からピッチを受けるのはちょっと変な感じがしました。よく知っている人たちもその中にいましたしね。」

カリーは、2013年のずっと前から「ナイキの選手」だった。カリーの名付け親のグレッグ・ブリンクはナイキで働いていた。カリーはナイキを履いて育ち、大学のデヴィットソンでもナイキを履いていた。カリーが世間から注目されはじめたのが、2013年の2月28日のマジソン・スクエア・ガーデンで54得点した試合からだ。スリーを入れまくり、マッチアップした選手がカリーはバスケットを見ずにスリーを決めていたと語った試合である。その試合では、カリーはナイキのZoom Hyperfuseを履いていた。カリーは、そのシューズをベイエリアの家で大切に保管しているそうだ。

カリー:「気に入ったシューズは捨てません。わたしにとってそれらのシューズは、自分のキャリアの記録なんです。」



カリーにおいて、ナイキにはアドバンテージしかなかった。シューズ会社にとって契約中である事は、とてつもない優位がある事を意味していた。選手たちは、NBAが嫉妬するくらいブランドに忠誠を誓っているからだ。そして、ナイキはただのシューズ企業ではない。ナイキは、スニーカー市場で他企業をカルチャー的にも金銭的にも圧倒しているザ・スニーカー企業なのだ。The Verticalのニック・デポーラによると、ナイキはNBA選手の68%と契約していて、ジョーダン・ブランドも含めると、そのシェアは74%にものぼる。Team USAのヘッドコーチであるマイク・クリゼゥスキは、ナイキのエンドーサーでもある。2012年のオリンピッックのアメリカ代表は、ケヴィン・ラブ以外の11人全員がナイキと契約していた。それ程巨大な勢力を誇っているのだ。



ナイキの顧客へのグリップはもっと強かった。フォーブスによると、2014年にナイキはバスケットボール・シューズで95.5%のシェアを誇っていた。ナイキのNBAに対する存在は、その約10兆円のマーケット・パワーが反映している。そうでなければ、ナイキがカリーへピッチした時の資料が、まるで二日酔いした学生が急いでつくったような出来だった事の説明がつかない。

8月のナイキのカリーへのピッチMTGは、ウォリアーズの練習施設の下にあるオークランド・マリオットの2階で行われた。ナイキの有名なブローカーであり、レブロン・ジェームスのアドバイザーでもあるリン・メリットが出席しなかった事は、このMTGがナイキにとってプライオリティーでないと言っているに等しかった。メリットの代わりに、当時のスポーツマーケティング・ディレクターのニコ・ハリソンがMTGを仕切っていた(現在はナイキの北米事業のVP)。

正直、このMTGの前からナイキがカリーとの再契約にさほど興味を示していない事はわかっていた。カリーが、自分のキャンプをやりたいと言った時に、ナイキはスポンサードしなかったのだ。選手たちが自分のキャンプを開く事はナイキの立場からすればあまり興味がない事かもしれないが、選手たちにとってはとても重要なのだ。若い世代にバスケを教えることは、見知らぬ人からサインをねだられるよりも意味がある事なのだ。

カリーにとっても、自分のキャンプを開く事は重要だった。カリーが若かった頃、クリス・ポールのキャンプに参加し、その時の経験が彼にとってかけがえのないものになったからだ。カリーの友人でルームメイトだったクリス・ストラッチェンは言った。「カリーは若かった時、いつもクリス・ポールのキャンプに行っていました。そしてクリス・ポールを尊敬していました。フィルムセッションでポールから多くのスキルを盗んで練習していました。」

ストラチェンは2013年を振り返った。「あの夏、ナイキはカイリー・アービンとアンソニー・デイヴィスに的を絞っていたようです。ナイキはカイリーとADにキャンプを与えましたが、ステフには与えませんでした。」

ステフの父のデルによると、そのピッチMTGは、ナイキがステフの名前を間違って「ステフォン」と言ってしまった事からはじまった。デル・カリーは言った。「驚きませんでした。過去ステフの名前を間違って発音する人はいたからです。だから驚きはしませんでした。でも驚いたのは、わたしがその間違いを訂正する事が出来なかった事です。」

MTGの状況はもっと悪くなった。パワポのスライドにはケヴィン・デュラントの名前が入っていたのだ。偶然に残っていたのかもしれないし、資料を使いまわしたために消し忘れたのかもしれない。デルは言った。「それを見てからは集中して説明を聞く事はありませんでした。ポーカーフェースはキープしましたけどね。」まるでピッチの最中にナイキを去る事は決まってしまったかのようだった。

デル曰く、ピッチの中には、ステフがシグニチャー・シューズを発売できるような要素はひとつもなかったそうだ。「ナイキには特定の選手がいます。コービーもいますし、レブロンやデュラントもいます。もしステフがナイキと契約したら、その下の2番目の集団に入るでしょうね。」






ステフが大学を選ぶ時、デルが卒業したヴァージニア・テックは、息子にたった少しのトライアウトしか与えなかったので、こういう扱いを受ける事には慣れていたのかもしれない。

デル:「ナイキからすごくリクルートされている訳ではなかったですし、リスペクトもされていませんでした。あまり重要に考えてもらえていなかったのは明らかでした」

デルのカリーへのメッセージは簡潔だった。「なにか新しい事をはじめるのを恐れるな。」

ステフェン・カリーはキャリアを通して、みんなが間違っている事を証明し続けてきた。ナイキはステフを再び焚き付けたのだ。

 

スニーカー・ビジネス

スニーカー・ビジネスはバスケットボール・ビジネスと平行している。スニーカーの総売上は年間で2兆円は優に越え、増え続けていくと予想されている。NBAの総価値を算出するのは難しいが、伝統的に評判があまり良くないクリッパーズが2150億円の価値があるという事実がその規模の大きさを物語っている。バスケとバスケット・シューズのオペレーションは巨大で、消費者の勝者への弛まぬ憧れを利用してお金をキャッシュ・インしている。特に必要なのはクールな勝者だ。NBAにはみんなが真似したくなるような優雅なムーヴメントとフィジカルなカリスマを持っている選手が必要だ。人はマイケル・ジョーダンにはなれないが、ジョーダンを履けばジョーダンのようになれる気がするのだ。何億人もの人が、そのささやかな幸せのためにお金を使っている。



カイリー・アービンを見てみよう。彼はオールスターだが、NBAのシーズンをケガせずに終わった事がないし、MVPの候補にすらあがっていない。しかし、スニーカーの世界では光り輝いていている。アービンの美しくギザギザのカイリー1はナイキにとって素晴らしいビジネスをもたらしたのだ。

モルスタは、最新のカイリー2の2016年の売上を51億と予想している。彼はたった1回しかポストシーズンでプレーしていないが、卓越したハンドル、ショットメーキング、アンクル・ドリュー(ナイキのCMでアービンが演じる老人のキャラ)、ペプシの広告がその錬金術の役割を果たしている。



この状況を見れば、カリーは2013年の時点でクールだとは思われていない可能性がある。カイリーと同じポジションでプレーしているので、マーケティング的に重複してしまう問題もある。ナイキは、商品を他とは大きく差別化する事を至上命題にしている。バスケシューズの先駆者であり、過去にナイキとジョーダン・ブランド設立に貢献しながらも1991年に解雇されたソニー・ヴァッカーロは、シューズをマーケティングするための流儀を持つ。それは「選手自身をマーケティングする以外に方法はない」という事だ。

ナイキの強みと弱みは切り離すことができない。ナイキは、トップ・ブランドとして、多くのスターを擁している。それはとてつもない優位をもたらすが、基本的にバスケットボールのマーケティングはミニマリズムなので、多くの選手と多くのメッセージをプロモーションする事は非効率なのだ。

 

ナイキのマーケティング

アービンは成功しているが、ナイキでは伝統的に小さいポイントガードをトップ・ブランドとしてプッシュする事はない。アービンのシューズはナイキの中でも最も安く、110ドルくらいの価格設定になっている。110ドルという価格は、品位よりもボリュームが大事だと言っているようなものだ。ナイキのハイ・バリューのシューズは代々アスレティックなウィングたちが担っている。マイケル・ジョーダンからはじまり、後継者としてコービーがいて、その伝統をレブロンが受け継いでいる。ナイキの顔になるには普通の人間を越えた存在でなければいけないのだ。



ナイキのマーケティングに詳しい人間がカリーについて語った。「カリーが人間的で、かわいくて、怪物とはほど遠いイメージなのは、ナイキにとっては忌み嫌うべきものだ。ナイキはカッコいいヘアスタイルで、筋肉質なイケメンを好む。」

これがカリーが持つパラドクスだ。カリーがナイキから軽い扱いを受けた理由は、カリーが人気を得た理由と同じなのだ。ナイキはまさにファンがカリーを受け入れたのと同じ理由でカリーを逃したのだ。

ヴァッカーロ:「カリーはいつも軽視されて来た。痩せていて、もろくて、バスケ選手として望まれるフィジカルな資質はなかった。カリーが報われてこなかったのも理解できる。しかし、ステフ・カリーは閃光のように現れた。そして、それはナイキにとっては受け入れがたい事実だったのだ」

ヴァッカーロ:「いま皆が経験しているのは「現象」だ。これはマイケルが94年にナイキと契約した時に似ている。カリーはもっとも注目されるアスリートへと変貌を遂げた。なぜカリーはそれが出来たのか?なぜならカリーはファンのみんなと似ているので、カリーに共感が出来るからだ」

フェアに言って、ナイキはカリーを逃した事を失敗だと思わない方がいい。なぜなら、この現象はとてもシュールだからだ。去年のMVPも、リーグ優勝も誰が予想しただろうか?今シーズンに限っては、カリーは去年の数字さえ古くさくしている。カリーを応援しているファンもこんな「現象」になるとは思っていなかっただろう。何年もの間、ステフ・カリーをもっとも信じている人たちですら、カリーのワームアップを見るためだけに遠征先でも何千人ものファンがアリーナに早く来るなんて想像すら出来なかった。




他にもナイキが見逃した兆候がある。2012-13シーズンで、カリーはスリーの記録を塗り替えた。それはカリーのユニークなスキルを証明したと同時に、NBAが変化していく兆候でもあった。ゲームはペース&スペースの時代に突入したのだ。今ではスリーがアナリティクスでも席巻している。もう昔のようなスター・センターはいない。ドワイト・ハワードのセンターとしての存在は、賞賛よりも問題へと変わっていった。ポイントガードが隆盛し、NBAの新しいトレンドは「小さい」だった。

アンダーアーマーのカリー2のコマーシャルで、カリーは薄暗いアリーナでシュートを放っている。そこにジェイミー・フォックスが現れ、カリーを0.4秒でシュートを放つ新時代のシンボルとして紹介した。「アッと言う間だ。突然ビックはそれほど大きくなくなり、スモールは小さくなくなった。ステップバッック・スリーは新しいダンクになり、フォロースルーは新しいポスターになった」


このCMが言わんとしている事が明らかだ。これこそがジャンプマンを越える方法なのだ。

 

ブランドと選手

12月、セルティクスとの試合で勝利した後、レブロン・ジェームスはいつものようにポストゲームで、いつもと同じような質問を受けていた。しかし、その日はいつもと違った質問が投げかけられた。あるレポーターがアンダーアーマーについて質問したのだ。レブロンは質問を遮って、「誰?誰?それって誰の事だ?」って返した。まるでナイキの名前しか口に出さないと決めているような返しだった。それも当然だ。ジェームスはナイキと生涯契約を交わしており、その金額は約500億円以上になる。

ESPNのボマニ・ジョーンズは、「あなたの雇い主は、あなたに最もお金を払っている人だ」と言う。「レブロンはキャブスやヒートになるよりも前から、ナイキのメンバーだった。わたしたちは金の流れを見てアスリートたちを理解しようとしている」

選手の成功はコート上で決まるのだから、チームが選手にもっと忠誠を求めるのは当然の事だ。レブロンが勝てば、ナイキも勝つ。ジェームスは、仮にキャブスから移籍したとしても、その後もナイキを履き続けるだろうし、ナイキからずっと支払を受け続けるのだ。彼にとってナイキは「一生モノ」なのだ。

カリーのアンダーアーマーとの契約は2024年まで続く。それはレブロンとナイキの関係と同じような強い関係だ。投資した選手は、そのスニーカーのブランドそのものなのだ。カリーの中でも、自分自身とアンダーアーマーとの区別はないように見える。まるでカリーはブランドと一体化しているかのように振る舞う。

シューズのブランドと言えば、ジョーダンとナイキの関係が真っ先に思い出される。ジョーダン・ブランドとナイキの結びつきは強い。フォーブスによれば、2014年にジョーダンはナイキから約100億円を貰っている。NBAでプレーしている間のジョーダンのサラリーは約94億円にもいかない。若者たちはまだジョーダンを履き、72勝したシーズンに履いていたジョーダン11のレトロがアメリカのスポーツ好きたちから支持されている。気まぐれなファッション界において、1985年にリリーズされたジョーダン1は未だ人気を誇っている。どの街でも下を向いて歩けば、ジョーダンはまだ引退したなんて言えないほどの勢いがある。ブランドは選手としての功績さへも越えていく可能性を秘めているのだ。





カリーとジェームスはブランドの代理戦争をやっているわけではない。引退してからも、文化的にどれだけ大きなインパクトを残せるかの個人的な戦いなのだ。それはバスケでのキャリアよりも大きな戦いだ。そして今、4回のMVPと2回のNBA優勝をもってしても、レブロンはその戦いに負けつつある。

 
 

アンダーアーマー

2012年のアンダーアーマーのオフシーズンも良くなかった。アンダーアーマーは、ブランドン・ジャニングスをトップ・スポークスマンとして擁立し、市場のシェアを少しでも多く獲るのに必死だった。それがケント・ベイズモアにつながった。



ベイズモアはウォリアーズのドラフト外のルーキーで、スニーカー企業が投資するような選手ではなかった。ベイズモアはチームに残れるかすらわからなかったのだ。しかし、ベイズモアのエージェントのオースティン・ウォルトンにはあるアイディアがあった。ウォルトンはアンダーアーマーにコンタクトを取り、アンダーアーマーに必要なのは、ひとりでも多くの選手がウェストコーストに必要だろうと言ってベイズモアを売り込んだ。その夏、ウォリアーズにはクレイやステフなどのシューズ契約が切れた選手が何人かいたので、ウォルトンはもしベイズモアがチームに残れたらその選手たちをアンダーアーマーに勧誘できるかもしれないと訴えたのだ。

ウォルトンは、クリス・ストーンにピッチをした。ストーンは、ジェイソン・キッドのハイスクール時代のチームメイトで、アンダーアーマーのプロバスケットボールのマーケティング部門でシニア・ディレクターをして働いていた。ストーンは、2009年のドラフトからずっとカリーを欲しがっていた。カリーがドラフトされた年、実はカリーのシューズをつくってピッチする予定だったが、カリーはすでにナイキと契約してしまっていた。

ウォルトンの努力のおかげもあり、ベイズモアを使ってアンダーアーマーがスター選手に何ができるかをデモンストレートする計画が走り出した。それは、カリーや他の有望な選手が注目するような豪華な商品をベイズモアに与える事からはじめた。具体的に言うと、ベイズモアに使いきれないくらいのギアを贈ったのだ。

2012年の夏、オークランドにあるベイズモアの小さなアパートは、アンダーアーマーから郵送されて来た荷物でいっぱいになった。

ベイズモア:「アンダーアーマーは最初の郵送でギアがいっぱい詰まった箱を19箱くらい送って来たんです」「その時、わたしの部屋には家具すらなくて、ものすごい数の箱とエアマットレスだけがありました。わたしはノンギャランティーのルーキー契約でした。わたしの未来は保障されていた訳ではなかったのです。もしチームに残れたとしても、そのギアをどう処理したらいいのかわかりませんでした」

チームメイトはベイズモアのシューズの洪水に気づいた。

カリー:「ベイズモアはルーキーだったのに、チームの誰よりもロッカーにシューズの箱やギアを持っていたんです」

ギアはウォリアーズの練習場の至るところに現れた。スタッフでさえベイズモアの施しを受け、タダのウェアを着ていた。ベイズモアは試合に2~3分しか出れていなかったにも関わらず、チームの誰よりもフットウェアを持っていた。

ベイズモア:「アンダーアーマーと、シーズン中に60足のシューズを送ってくれるマーチャンダイズ契約をしました」

 

ベイズモア

ベイズモアを通じてのカリーへのアプローチが成功する確率は高くないと思われていた。しかし、営業マン気質を持つベイズモアはトライしてみる事にした。 そして、ベイズモアはカリーと友人になった。ふたりともノースカロライナの出身で、カロライナ・パンサーのファンだったので、打ち解けるのは早かった。カリーはシャーロットの裕福なコミュニティーで育ち、ベイズモアはケルフォードという小さな街で育ち、冬には暖房もないほど貧しかったが、友情には関係がなかった。



友情はノースカロライナからはじまったが、育まれたのは練習場だった。ベイズモアは、NBAに残るために遅くまで練習していた。カリーは毎試合出場していたが練習は欠かさなかった。

ベイズモア:「わたしは試合に出ていませんでした。カリーは試合で35分もプレーしているのに、わたしと同じくらいの量のショットを毎晩練習していました」

友情がビジネスを生む。

ベイズモア:「わたしは何でも言います。アンダーアーマーに関して恥ずかしい事はありません。わたしの事もなんだって言います。ステフが「ナイキの契約が終わった」と言っていたので、わたしは「アンダーアーマーにおいでよ。自分のシューズを持てばいいのに」と誘いました。この事はアンダーアーマーの誰にも言っていませんでした。わたしは他にも勝手にカリーといろんな約束をしていました。「NBAを代表する選手なんだから、自分のシグニチャー・シューズを持てばいいのに」「わたしは可能性を言っていただけです。だけど、アンダーアーマーの誰ともその事に関しては話していませんでした。」

そして、ストーンにコンタクトする時がきた。

ベイズモア:「クリス・ストーンに連絡して、何をやろうとしているか伝えた」。代理人ピッチはうまくいった。カリーは興味を持ち、ベイズモアは営業し続けた。とても好奇心の強いストーンは、この急に出てきたチャンスを逃すまいとしていた。

ストーン:「ケントには1日に3~4回は電話していました。ステフと話した?ステフといつ話した?いまどんな状況だ?って感じで。」

ストーンは、カリーにピッチするMTGを設ける事が出来た。それはオークランドでのナイキのピッチ前にシャーロットで行われた。そのプレゼンで、ステフは聞いた。

カリー:「ベイズモアにはとても良くしているようだけど、わたしには何をやってくれるんですか?」

そして、そのMTGが終わった時、カリーはベイズモアにテキストを送った。もしかしたらアンダーアーマーに行くかもしれない、と。

その3年後、ベイズモアはアンダーアーマーから毎年億単位の金をもらっている。それは彼がホークスと契約する前の夏だ。ベイズモアは、アンダーアーマーとリッチなシューズ契約をする前のシーズンでは平均6得点しかしていなかった。それから彼はホークスのローテーションに入り、毎試合平均28分プレーするまで成長し、契約を正当化したのだが、そのレベルだった選手がそのような大きな契約を結べる事はあまり見ない。

ベイズモアの出身校のオールド・ドミニオンが、アンダーアーマーの契約学校にもなった。「わたしたちはオールド・ドミニオンと契約しました。それはケントへの恩返しでもあり、彼もそれをとても喜んでいます」そうストーンは言った。アンダーアーマーは、オールド・ドミニオンにナイキが毎年払っていた金額の7倍を払っている。ベイズモアはオールド・ドミニオンに尽くし、あたらしい練習場をつくり、学校の歴史で最も多くの寄付をした。その練習場にはベイズモアの名前が冠せられ、オールド・ドミニオンのユニフォームはアンダーアーマーが契約した。

 

カリー

ステフ・カリーは、世界で最も大きなスポーツ・アパレル企業にとって、最も恐れられている人間であるが、ナイキとはケンカはしたくなかった。ナイキがオラクルに来た時、カリーは笑顔で挨拶した。ナイキと契約しているラッパーのDrakeが来た時も、ステフと妻のアエシャは彼を地元のIn-N-Outに連れていった。

ナイキとの交渉が終わった時、カリーは辛辣と言うよりも可愛い表現を選んだ。

ステフ:「ライリーの話を気に入っているんです」

カリーは、どこかのブランドとシューズ契約を交わさなければいけなかったが、どこにするべきか決めきれないでいた。契約しなければいけない期限が迫る最後の週に、カリーはエージェントのジェフ・オースティンの家に行き、契約する可能性のあるメーカーのシューズを並べて見比べていた。そして、赤ちゃんだった娘にどれが好きか聞いてみた。

カリー:「その時ライリーは1歳ちょっとでした。彼女に、ナイキとアディダスとアンダーアーマーを見せたんです。彼女は最初ナイキを手に取って、肩越しに投げてしまいました。彼女は2足目を手にとり、肩越しに投げてしまいました。彼女は3足目を選んで、わたしのところまで持ってきてくれました。それがアンダー・アーマーのAnatomix Spawnだったんです。それでアンダー・アーマーに決めたんです(笑)」



もしかしたら、その瞬間が決め手だったのかもしれないし、もしかしたらベイズモアとストーンの1年にも及ぶリクルーティングが決め手になったのかもしれない。原因がなんであれ、結果として、カリーは何兆円もの金の流れを変えてしまった。ナイキから富を奪い去り、ジェットストリームのようにアンダーアーマーまで運んでしまった。

ナイキはまだ巨大だ。トップ中のトップである。この記事を書くためにインタビューした人たちからは、ゴリアテにケンカを売るなと忠告を受けたほどだ。みなナイキの仕返しを恐れていた。ひとりのナイキと関係のあるウォリアーズの選手はインタビューを断った。彼は言った。「注意しろ。本当だ。気をつけろ」

カリーの失敗から、逆にナイキが活気づいたと言う人もいる。新たな優位性を求め、ナイキはウエラブル・テクノロジーを開発し、経営陣にアップルのCEOのティム・クックを招いた。ソニー・ヴァッカーロは、ナイキがカリーを失った意味を楽観的には考えていなかった。「これはナイキが最も恐れている事です。シューズ・ビジネスでこれは乗り越えられない。心理的に大ダメージを受けているだろう。」

もしそうなら、そのダメージは自ら招いたようなものだ。アンダーアーマーがして、ナイキがしなかった事は、カリーが他のブランドと契約しようとしていた兆候があったにも関わらず、それに対し何もしなかった事だ。

2013年、ナイキはNBAのRFAのように、カリーに対して他企業から受けたオファーにマッチする権利を持っていた。彼らはカリーの意思とは関係なくカリーと自動的に契約できたのだ。結局、ナイキは1年間でおよそ4億円の契約を更新しなかった。

ストーンはライバルについて語った。「ナイキはわたしたちと競り合わない決定をしました。それはただの決定です。価格帯が彼らのキャパから離れていたからではありません。自分たちの意思で、カリーと契約しない道を選んだのです」

ストーンはその決定をこう瑜やした。「ここにいたくないなら、いなくていい。」

子どもの頃からナイキで育ってきたアスリートにとって、ナイキはトップブランドなのだ。ナイキには他にはない伝統がある。マイケル・ジョーダンのシューズは、まだ現役のアスリートよりも売上が多い。ジョーダン・ブランドはシスニーカーの中では最も人気があるシューズである。ナイキはMJが実際に試合で履いていたシューズの新モデルを、ラッセル・ウェストブルックでブランディングしてリリーズした。最新のジョーダン30は、ウェストブルックが広告に登場し、コピーは「The Next Frountier of Flight」だ。



マイケル・ジョーダンの後継者たちとの何年にも渡るプロモーションのすべてが崩れていく。それはケント・ベイズモアとシューズ市場で1%にも満たない企業に弱点をつかれるカタチになった。Next frontier of flightは次のバスケのフロンティアにはなれなかった。次のフロンティアはステフ・カリーだった。それはジャンプ力ではなく、レンジだった。

時代思想が変わったのだ。バスケの変革が、シューズ・ビジネスの戦略にも影響を及ぼしているのだ。その変革の先頭にカリーがいる。スリーがレイアップと呼ばれ、華麗なクロスオーバーでスペースを切り裂き、Gにも関わらず圧倒的なPERを誇り、みんなが共感できるようなベイビーフェイスでバスケそのものを変えてしまった。そして、その影響はスニーカー・ビジネスをも変えてしまった。



-via espn written in 2015-16 season.

 

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