渡邊雄太がラプターズのカルトヒーローのステータスを得るまでの道のり

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トロントのファンたちから、かつての人気者のホルヘ・ガーバホサやポップス・メンサア-ボンスのように慕われはじめた渡邊雄太選手。彼は定期的にカナダのツィッターのトレンドに出てきて、その懸命なプレースタイルでトロントでカルト的な人気者になっているようです。

ラウリー:「彼はとてもハードにプレーする。コートにいる毎回彼はマキマム・エナジーを出してくれる。彼がコートに出ると、ルーズボールに飛び込んで、正しい場所にいて、持てる全てを出してくれる。時としてそれが必要なんだ」

チームメイトでMr.ラプターズのラウリーからも厚い信頼を得ている渡邊選手ですが、彼はどうやってここまで来れたのでしょうか。

以下、The Athleticのエリック・コリーンさんの渡邊選手の特集記事をベースにして書いています。

渡邊は日本の神戸の南西にある人口およそ7.5万人の三木町(香川県木田郡三木町)で育った。母はバスケの元日本代表経験もあるオールラウンダー選手で、父は日本リーグのチームに所属しパワーフォワードをしていた。姉も日本でプロとしてプレーしていた。渡邊は、自分は母のようにプレーしていると思っている。「私のバスケットボールIQが高いのは両親のおかげなのはまちがいない… 両親はいつも私にバスケをどうプレーすればいいのか教えてくれた。それが今私を助けてくれているのは確かだ。特に、いろいろ違うことをたくさんするラプターズでは。私はいつでも飲み込みが早くて、コートの上で正しいことをしている」

渡邊のお気に入りの選手はコービー・ブライアントで、彼を見て育った。「私は彼をいちばん見ている」「彼のすべてを尊敬している:スコアラーで、ジャンプショット、ダンク、ディフェンスがある、ほとんどすべてを持っている」

日本でプロのコーチをしていたドン・ベックは、ひょろ長くて良い遺伝子を持った渡邊という選手のことを知った。彼は古い友人で、コネチカットのオークデールにあるセント・トーマス・モア高でコーチをしているジェレ・クウィンに連絡をとった。そのプレップスクールはアンドレ・ドラモンドらNBA選手の出身校で留学生も多い。渡邊は高校3年生でそのセント・トーマス・モア高へのアメリカ留学を決めた。日本で生まれたマミ・ラッドがその学校で働いていたことも助けになった。

アメリカでの成功には懐疑的な見方もあった。特にアメリカでは内気にさせている謙虚さが足を引っ張ると思われていた。日本語でも控えめなら英語だとどうなるのか。ラッドも渡邊とあった時、彼はとても静かでナーバスだったと教えてくれた。コートでは違った。クウィンは「まず、彼はとてもとても頭がよかった。コツをとても早く掴む」

渡邊:「それが変なことなんだが、英語は理解できなかったのに、システムはいつも理解できた。私はプレーを覚えるのがとても上手い。コートではそれほど苦労はしなかった」

問題は他にもあった。彼の体格だ。6-8で185ポンドもあれば多すぎだった。しかし、それではNBAではプレーできない。クウィンの妻は、渡邊を見た時にバレリーナのようだと言った。渡邊は英語、ストレングス、自己主張を改善する必要があった。クウィンはそれを「西洋化」と呼んでいた。

高校では今のウォリアーズのエリック・パスカルとチームメイトで、渡邊とパスカルの2人がチームのスターだった。精神的なバリアは肉体改造よりももっと早く解決できた。クウィンは、渡辺がパスカルを褒める度に、渡邊はパスカルと同じくらいになれると言い聞かせた。パスカルが2014年の2月に足を痛めてNational Preo School Invitationalの決勝戦にでれなかった時、パスカルは渡邊に「ユータ、お前にかかっている」と言った。

クウィン:「私たちは6点差で負けたが、ベストプレーヤーはユータだった」

 

クウィン:「渡邊は25点、16リバウンドで9アシストを記録した。私は彼を掴んで、”ユータ、君は常にこれをできるんだ”と言った。彼は私の目を見てただ”ありがとう、コーチ”と答えた。彼は「ありがよう、ありがとう、コーチ」と言ってまたジムでいちばんナイスな子に逆戻りする。彼が私のことを聞いていたのかはわからないが、彼は聞いていたと思う。”いや、わかるか?お前は毎日ベストプレーヤーになれるんだ”」

パスカル:「彼はチームメイト全員をケアしていた。彼は自分が実際にどれくらいの才能があるかわかっていなかった」

謙虚だからと言って、努力をしていない訳ではない。渡邊のワークエシックはすばらしかった。

ジョージ・ワシントン大では、キャンパスよりもジムに多くいた。特に1年の時は、バスケの練習だけではなく、多くの時間を勉強に費やさなければいけなかった。ヘッドコーチのモーリース・ジョセフは当時の渡邊のことをこう言っている。「彼にはタフ(な状況)で、フラストレーションがたまっていた。とても消耗していたのも知っている。他のアスリート学生が1時間で終えるものを2~3倍かかっていた。たくさんの補修を受けた。学校とバスケだけだった」

ジョージ・ワシントン大での2年目では1試合以外はスタートしたが、得点は5番目だった。ジョセフは「ゴースト・スタッツ」をつけていた。ゴースト・スタッツとは、デフレクション、ルーズボール、ボックスアウト、ショットコンテストなど普通はボックススコアに出てこない数字だ。渡辺は定期的にチームでゴースト・スタッツをリードしていた。

渡邊は、相手チームのオフェンスの1番か2番目の選手を守る。それが2だろうが4だろうが、それが渡邊の仕事だった。ナショナル・インビテーション・トーナメントでは、平均20点近くとって活躍していたガードを16本中2本、平均6本のFTを2本に抑えて優勝に貢献した。

また、ディフェンスは評価されていてアトランティク10のディフェンシブ・プレーヤー・オブ・ザ・イヤーにも選ばれています。

渡邊が3年の時にジョージ・ワシントン大が日本に遠征し、大阪、東京、浜松、沖縄でプレーした。その時渡邊はチームリーダーの1人だった。試合が終わると、チームバスに乗ろうとしている渡邊に大勢のファンが群がった。ジョセフは2試合目はファンよりも早く出ようとし、チームはバスに乗り込んだ。しかし、渡邊が出てきた時にファンに見つかってしまった。

ジョセフ:「ユータが出てきたのを見た人たちが彼の方へと群がった。私はその中でも手に赤ちゃんを抱えている女性を見ていた。彼女はユータと赤ちゃんの写真を撮ろうとしていたが、ユータはそれどころではなかった。彼はできる限りサインしてみんなを喜ばせようとしていた。大勢の人がいて混乱していた。そしてユータに赤ちゃんを抱かせようとしていたその女性が、ユータに赤ちゃんを本当に投げた。ユータはつまづきながら赤ちゃんをキャッチした。彼女はフレームに顔を入れて誰かが写真を撮った。そして自分の赤ちゃんを掴んで出て行った… 私はバスの中で、”誰かあれを見たか?今女性がユータに赤ちゃんを投げた”と言った」

 

日本バスケは1976年からオリンピックに出場できていないが、日本代表は、ホストとして今回のオリンピックには自動的に出場できる。何もなければ渡邊がチームの顔のひとりになる。渡邊は、機会があれば母国のためにぜひプレーしたいと言った。

渡邊:「ぶっちゃけ言うと、時々日本からのプレッシャーを感じる。同時に、私はいつも自分のやっていることを楽しんでいる。多くの人はこのレベルには来れない。この機会を得られるのはすばらしいことだ。私はただ愛している事をしているだけだ」

 

NBAへの挑戦

素晴らしい血統とサイズがあった渡邊に「The Chosen One」というニックネームをつけたジャパン・タイムスのスポーツライターの長塚カズ氏が、渡辺について書いた。

長塚:「八村に失礼なことを言うつもりはないが、八村は日本のバスケの顔だが、渡邊がパイオニアだ。彼が道をつくった。八村がやってきて、渡邊が精神的に彼を励ました。それが誰であれ、未踏の道を進むには大きな勇気が必要だ」

渡邊はNBAドラフトまでに少なくとも7チームとワークアウトしたが、ドラフトされなかった。サマーリーグでブルックリン・ネッツで5試合プレーして9.2得点、4.2リバウンド、1.6ブロックを記録して、メンフィス・グリズリーズで2wayを掴んだ。

グリズリーズのGリーグのメンフィス・ハッスルで渡邊のコーチをしていたブラッド・ジョーンスは、ヘッドコーチのジェイソン・マーチに、選手としてだけではなく、人間としてどれだけ渡邊と一緒にいるのを楽しんでいるか言った。渡邊は、コーチできて、スマートで、思いやりがあり、思慮深いことをすぐに見せた。

メンフィス・ハッスルのマーチは、2年目の渡邊をビデオセッション中に「リバウンドに集中していない」と批判をした。渡邊は、次の試合でリバウンドを支配した。

マーチ:「私はすべてを与えてくれる人が欲しい。20点や30点をとるだけではない… チームメイトをオープンにするためにハードカットをする。彼がそれだ。彼がグリズリーズに呼ばれたらそれがチームからなくなった。そういった小さなことだが、それはバスケIQや、すべてのポゼッションでハードにプレーする選手でいること、いつも正しい場所にいることが重要だ」

グリズリーズでは機会がハマらなかった。球団には優先するべき若い選手が多く、2way選手には理想的な場所ではなかった。特に24歳と若くない年齢でNBAデビューした渡邊にとっては。

渡邊はグリズリーズの2シーズンで33試合プレーした。2020年の1月に4試合連続で73分プレーし、37得点、19リバウンドと可能性を見せた。その後Gリーグに戻されて、40点をドロップしてオールスターに選出された。そしてシーズンが中断になった。

 

「私はいつも忍耐強いが、機会を得られないと疑う時もあった。今シーズンに入る時はクレイジーだった。私にはトレーニングキャンプ契約しかなかった」

渡邊とエージェントはラプターズに賭けた。なぜなら彼のスキルセットはラプターズのアグレッシブで複雑なディフェンス・スキームにフィットすると思ったからだ。彼は2way契約を勝ち取り、ローテーションに入り、18試合で16試合に出場した。10分以上の出場した試合は10試合になる。ひどい開幕スタートをしたラプターズが失っていたグルーの一部として機能した。

渡邊はマルチポジションのディフェンダー/アクティブ・リバウンダーでオープンショットを決められる。最初のスリーの28本中12本を決めた。グリズリーズのヘッドコーチのタイラー・ジェンキンスは、渡邊の良くなったショットがラプターズでの機会に活かされていると言った。クウィンとジョセフは、渡邊は強くなったように感じると言った。ラプターズは彼を215ポンドで登録している。食べるわりには細いと言われる。

ニック・ナース:「彼はちょっと細くて、守る相手にウェイトで負けるが、彼は見た目よりも強くて、マックスのエフォートを出して戦ってくれる。私は彼のことを知るようになってきた。これまで見たことは気に入っている」

ローテーションを確実にするためには、オフェンスでちょっと危険になる必要がある。プレー時間を勝ち取るためにもオフェンスは必要だ。

ニック・ナース:「彼はちょっと得点できる。オフェンシブプレーヤーじゃない訳ではない。もっとコートに慣れたら少しスコアするようになる。しかし、私は彼のエナジー、カット、ハッスルプレーが好きだ」

COMPLEX CANADAのヴィヴィック・ジェイコブ氏は、渡邊のことをグルーガイで、PJ・タッカーやアンドレ・イグォダラ、シェーン・バティエのような選手だと表現している。もっと言えば、いつも正しい時に正しい場所にいて自分のスキルをマックスに使っていた元ラプターズのホルヘ・ガルバホサのような選手だそうだ。

とにかく、彼は底なしのエナジーとグッドバイブをチームにもたらしてくれる。アレックス・レンをウェイブした時は、渡邊のスポットを空けたように思えた。彼らは渡邊に1年のミニマムをオファーでき、その後RFAにすることができる。または2年契約で2022年にFAになる契約オファーも可能だ。(*NBAは2Way契約を延長するようなので、このまま行くのかもしれません…その場合、50試合を過ぎたら自動的にNBA契約のミニマムと同じレートのサラリーを得られます)

「ユータのワークエシックと 自発は契約を得るスキルだ」とクウィンは言った。「彼よりも良い9番目、10番目、11番目の選手を見つけられるとは思わない。彼はチームを良くすることを愛していて、球団を良くしたがっていて、ただそこにいるだけで嬉しいんだ」

渡邊は彼の本質通りにこの飛躍には慎重になっている。「私にはまだやならければいけないことがたくさんある。私にはうまくならなければいけないことがたくさんある。私はまだ上達しなくてはいけない。私の努力が少しづつ実を結んできた。私はこのリーグの一員であることを証明しつつある」

 

 


参考サイト:How Yuta Watanabe’s unique NBA journey led him to Raptor’s cult hero status
サムネイル画像:Photo by Sergio Estrada/USA TODAY Sports