ヤニス特集 Part 2. ドラフトまでの大きな壁

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ヤニスがNBAに行くために乗り越えなければいけない困難は、貧困やバスケシューズだけではなかった。

当時のヤニスはクラブのユースチームでポイントガードをしていて、ギリシャでもベストレベルだった。クラブチームではSFとしてプレーしていた。しかし、ヤニスのいちばんの問題は、プレーではなく露出だった。ギリシャ代表の経験もなければ、プレーしているクラブはディビジョン2だ。話を聞くだけでは大した選手ではないような気がしてしまう。ヨーロッパ中の才能あるヤニスと同年代の選手たちを追っているスカウトたちのレーダーに引っかからなかったのも無理はない。

ヤニスは不法移民だっため、海外での代表試合にも呼ばれないのはもちろんのこと、国内のディビジョン1のリーグでプレーすることも禁止されていた。

エージェントのパヌたちにできることはヤニスのハイライトビデオをスカウトやアメリカの大学に送るしかなかった。まるで売れないアーティストがレコード会社に自分の音楽を送るような感じだった。しかし、反応はなかった。

 

2012年10月25日の夜遅く、ニューオリンズ・ホーネッツのインターナショナル・スカウトで、イスラエルのテルアヴィヴに住んでいたヤロン・アーベルの元に一通のEメールが届いた。ギリシャのヤニスのエージェントのジョゴス・ディミトロポラスからだった。まだ誰にも知られていないスター選手で17歳のヤニスを売り込むメールだった。ディミトロポラスはギリシャでもリスペクトされていたので、アーベルはヤニスのハイライトリールを観てみた。

アーベルはそのビデオを観た後すぐに、ボスのアシスタントGMのティム・コネリー(現ナゲッツのGM)にそのメールを転送した。

ヤニスが正式にNBA球団のフロントオフィスにたどり着いた瞬間だった。

アーベル:「私たちは多くの17歳を追いかけているが、彼については何もしらなかった。Youtubeにあげてある彼のハイライトもたった150人しか観ていなかった。それは家族か友だちだけが観ている数字だ。誰も彼の事は知らなかった」

当時ホーネッツのアシスタントGMだったティム・コネリー(現ナゲッツのGM):「2012年にヤニスのことを知った。ナイジェリア人の系統で、ギリシャのディビジョン2でプレーしている… ヤニスは身体的にユニークだったので、ボディータイプやサイズで他の選手と比較するのがむずかしかった。彼は若くて腕と脚だけだった。経験もパスポートもない。」

 

また他にもヤニスに注目していた人がいた。ドラフト候補選手を分析するちょっとマニアックなメディアの「Draft Express」を運営するジョナサン・ギヴォニーだ。ギヴォニーは、NBAがヤニスに気づく何ヶ月も前からヤニスをスカウトしていた。ヤニスのエージェントのジョゴス・パヌがヤニスのビデオを送ってくれたのがきっかけだった。

ギヴォニー:「そのビデオは映像が荒れていて良く見えなかったが、6’6”のPGがダンクしてすばらしいパスをしていたのが見てとれた。エナジーがあり、体は腕と脚だけだった。痩せていて、自分が何をしているのかわかっていなかった。少し自分をコントロールできていないような感じだ。ただそのような選手はヨーロッパでは珍しいので興味深かった。そしてNBAにいる知り合いに、”2013年のドラフト候補選手だ。若いので2014年か15年になるかもしれない”と言って送った。」

ヤニスのエージェントのパヌは、ギヴォニーにヤニスが出る試合を観に来ないかと誘った。そこでギヴォニーはレイカーズのスカウトと一緒にヤニスをスカウトしにギリシャまで行った。実際に見たヤニスのバスケIQ、ゲームのフィール、ヴァーセティリティー、ヴィジョン、ディフェンスは素晴らしかった。もちろんその時はヤニスがMVPになることは予想できなかったが、彼がすばらしい才能がある選手だとわかった。

 

ヤニスの今のエージェントであるオクタゴンのアレックス・サラトシスもヤニスの噂を聞いていた。サラトシスは家族がギリシャにいて、毎年祖母のいるギリシャに行っていた。パヌとも知り合いだった。パヌからは、「次のマジック・ジョンソンがいる」と聞いていたが、情報が限られていたため、実際には他のみんなと同じ情報しか持っていなかった。その時はギリシャのディビジョン2でプレーしているヤニスのことは気にも留めていなかった。

サラトシスは、NBAチームからヤニスに関する連絡を立て続けに受けた。その内のひとりからは「この子はお前の子だろ?彼には何かがある。本当に注意しはじめた方がいい」と言われた。そして次の日にはヤニスのプレーを見にギリシャに飛んだ。その試合後、パヌとNBAの可能性について話し合った。

(オクタゴンのヤニスのエージェント アレックス・サラトシス)

 

サラトシスはどうやってNBAフロントにヤニスの情報を送るか悩んでいたが、それが大変だったとは思わなかった。普通のドラフト候補はNBAビジネスを熟知していて、エージェントにはシューディールなどのエンドースメントを持ってくる事を期待している。それに比べればヤニスの問題は軽いものだと感じていた。ヤニスが海外に出れないのなら、NBAスカウトをギリシャに連れてくるしか方法がない。サラトシスはNBAのフロントにヤニスを売り込んで行った。

当時ホークスのGMだったダニー・フェリー:「ヤニスのフィルムは少なく、あってもグレイニー(荒れていた)だった。SFのようで、とても細くて脆いが長かった。スコッティー(ピッペン)のような感じもした。それだけ上手くなるかも背が高くなるかもわからなかった」

当時のバックスのGMのジョン・ハモンド:「アテネで注目されてきている選手がいる。見に行くべきだと言われた」

(ヤニスはクラブのシニアチームとジュニアチームでプレーしていた Photo by Eirini Vourloumis for The New York Times)

 

当時のセルティクスのアシスタントGMのライアン・マクドナー(元サンズのGM):「ヤニスは確かに面白い存在だったが、セミプロで選手がハーフタイムにタバコを吸っているようなリーグで無双して相手をなぎ倒していたりしている訳ではなかった」

バックスのGMのジョン・ハモンドがヤニスを初めて見たのは2013年の2月だった。「何よりもゲームの素晴らしいフィールがある若い選手だった。彼はプレーの仕方を知っていた。素晴らしいボールスキル、素晴らしいヴィジョンがあった」

(元バックスのGMのジョン・ハモンド)

このようにして次第にNBAにヤニスのことが知れ渡るようになっていった…

そんな中、ヤニスはフィラシティコスのユースの最後の試合で50点をとるなどして活躍し、ギリシャのヤニスの噂が更に広まって行った。

 

NBAスカウトたちは1順目指名候補がいると言われれば世界のどこへでも行く。ニックスを除くNBAすべてのチームがヤニスの試合にスカウトを送っていた。フィラスキティコスのジムでおこなわれたナゲッツのワークアウトには、サンダーのサム・プレスティ、ホークスのダニー・フェリー、ロケッツのダリル・モリー、ラプターズのマサイ・ウジリが観にきていた。

(サンダーのGMのサム・プレスティ)

(ホークスの元GMのダニー・フェリー Photo by David Goldman/Associated Press)

(ロケッツの元GMのダリル・モリー Photo by Elizabeth Conley)

(ラプターズのGMのマサイ・ウジリ Photo by Dan Hamilton-USA TODAY Sports)

 

また、他の試合ではセルティクスのGMのダニー・エインジと、アシスタントGMのライアン・マクドナーも来ていた。

(元セルティクスのアシスタントGM ライアン・マクドナー)

(セルティクスGM ダニー・エインジ)

 

ドラフトが近づいてきたヤニスのギリシャでの最後の試合にも多くのNBAのスカウトが来ていた。ヤニスの才能をNBAに披露するチャンスだった。そう思えばこれがヤニスにとって今までで1番大事な試合だったかもしれない。自分だけではなく、チームのディビジョン1への昇格がかかった試合でもあった。

試合は89-81で敗れ、ヤニスは4得点でファウルアウト。試合後、ヤニスは泣いていた。

そこからヤニスのネガティブな意見が出てきた。6’9”で体重は196パンドで痩せていて、シュートもなく、どのポジションでプレーするのかわからないと言う評価もあった。

しかし、ヤニスを高く評価していたスカウトもいた。

当時のホークスのアシスタントGMのウェス・ウィルコックス(元ホークスのGMで現在キングスのアシスタントGM):「ヤニスに興味を持ってから情報を集めた。そして実際にヤニスを見ると、思ったよりも背が高く、手も大きい。練習でドリルのやり方を見てみて良い選手だと感じた」

そして、ヤニスがボールをリバウンドして、そのままボールをプッシュしてパスをする。「ダニー(ホークスのGM)には、信じられないかもしれないけど、マジック・ジョンソンを思い出される選手がいた、でもマジックでもない、と報告した。自分でもそう信じるのはやめてしまった」

(ホークス 元GM ウェス・ウェルコックス)

 

なんとかヤニスはNBAチームからの注目を得たもののまだ大きな問題が残っていた。それは露出よりももっと重要で不可欠なもので、ヤニスの力だけではどうにもならないものだった。

それはパスポートだ。

ヤニスは不法移民のため、パスポートを申請することはできない。パスポート申請には市民権がなくてはいけないから、市民権が必要だっと言ってもいいかもしれない。

そのため、NBAスカウトたちが必ず行くような国外のユーロキャンプ、ナイキ・フープサミット、バスケキャンプなどに参加して実力を示すこともできなかった。

NBAチームからすれば、不法移民を雇う訳にはいかない。ヤニスをドラフトしても、彼にパスポートがなければアメリカに連れてこれない。そもそも海外のアスリートがアメリカでプレー(滞在し労働)するためには、P-1ビザを取得しなければならず、その申請にパスポートが必要なのだ。パヌはよく海外のチームでパスポートをくれるところがあれば教えてくれと頼んでまわっていたほどだ。

その頃のギリシャでは不法移民が市民権を得ることはむずかしかった。ギリシャはデフォルトした後で、国の経済が破綻していたため、政治でもネオファシズム右翼系が力を伸ばしており、ヤニスを含む移民の市民権取得は2年フリーズされていた。ヤニスたちは在留資格があり、学校を終えて、ギリシャ語も流暢に話すので市民権取得の資格がある。しかし、そんな資格を持つ移民は何千人もいた。政治家は、バスケをする少年のために選挙でのリスクを犯すことはなかった。

政治を相手にするヤニスのパスポート取得のプロセスは大変なものだった。

そんな中、ギリシャ代表の中心選手になれるヤニスのために、ギリシャ代表のコーチ、エージェントらが政府に掛け合ってくれた。ギリシャのバスケットボール協会はあまり何もしてくれなかったようだ。ラプターズの新GMになったマサイ・ウジリもヤニスのパスポート獲得に一役かってくれたそうだ。ウジリはドラフト候補選手としてヤニスと会っていたし、ギリシャのバスケ代表になってNBAに行きやすくするために、ヤニスと家族の市民権をとるために動いてくれた。ウジリは同じナイジェリアの血を引くヤニスの成功を願っていたのかもしれない。

ギリシャがようやくヤニスにギリシャの市民権とパスポートを与えてくれたのは5/9だった。NBAドラフトまであと2ヶ月でギリギリのタイミングだった。もしギリシャから市民権を得られなかったら、おそらくパスポートをオファーしていた両親の出身国であるナイジェリアかスペインのどちらかを選んでいただろう。

ヤニスを発掘したスピロス:「バスケットボールはここでは国技だ。もしヤニスがアインシュタインや科学者だったらギリシャ国籍は得られなかっただろう」

(ヤニスはギリシャ市民権を取るのに苦労した)

 

パスポートを得たヤニスは、そのすぐ後にイタリアで開催されるアンダー18のFIBAの国際トーナメントに出場することができた。ちょうどイタリアで行われていたユーロキャンプに来ていたNBAスカウトたちは、ヤニスをスカウトしに40キロ離れた街まで試合を観に行った。その街への道は1本道で1車線で、スカウトたちはクルマの列をつくって小さなアリーナまでヤニスを見に行ったそうだ。

ギヴォニー:「私はその3試合の内、2試合を観に行った。ヤニスはそれほどすばらしいプレーはしていなかった。メディアは懐疑的なことを書いていた。でも彼は同い年の選手相手に才能を感じさせるプレーをしていた。もしアメリカであれば、トップ25~30あたりのリクルートになるはずだ。マクドナルド・アメリカンにも選ばれる。1順目後半の指名が10位代の指名になるか可能性もあった」

ペイサーズのGMのケヴィン・プリチャード:「ユーロキャンプに行ったみんなは、車を40台連ねて海岸沿いの小さな街にヤニスを見に行った。リーグの75%がそこではじめて彼を見たのではないか」

 

ヤニスがその時のことを振り返った:「最初はナーバスだったが、試合に出たらそれも消えてしまった。試合が終わったらまるでサイン会のように、1時間ごとにNBAチームの人たちと会っていた。いろいろな質問をされた。”もし金をもらったら何をするか?””家族に家を買う”と答えた。”NBAの最初の給料が振り込まれたら何をする?””そのまま家族に送る。” それは実際にやっていた事だったけど。時々バカげた質問もあった。”バニラアイスかチョコレートアイスか?”」

18歳のヤニスはハングリーだった。家族のために。偉大な選手になるために。

ウィルコックス:「ヤニスの家族とバスケの情熱と感情は尋常ではなかった。彼はテーブルに指を叩きながら、”私はベストプレーヤーになりたい、そして家族をテイクケアしたい。それだけだ”と言っていた。彼にとって、それ以外は何も関係ないのは明らかだった。その時は彼がMVPになるとは思いもしなかったが、それゆえに今振り返れば、より一層エモーショナルに感じる」

サラトシス:「ヤニスにとっていちばん大事なのは家族だ…家族を養う、それが最優先だ。それ以外はおまけでしかない」

ヤニス:「私はインタビューで泣いていた。彼らに理解して欲しかった。”何があろうと毎日練習してあなたたちがなって欲しい選手になる”と」

ヤニスはどうしてもNBAに行きたかった。NBAのトライアウトを受けようとさえ思っていた。サマーリーグやドラフトのプロセスすら知らなかった。

そのイタリアでの試合の後、それまでは主に2巡目~1巡目30位代だったヤニスのモックドラフトの順位が一気にあがって行った。

 

*ヤニスPart3は、NBAから注目されはじめたヤニスのドラフト前日までをお送りします。


参考サイト:A Hunger for a Better Life May Lead to NBA /Woj Pod
サムネイル画像:www.basketnet.gr