ヤニス特集 Part 3. ヤニス、アメリカへ行く

Browse By

多くのNBAチームがヤニスのドラフトに興味を持った。もうドラフトされるかされないかではなく、何位になるかだった。ここで2013年の主要メディアのドラフト1ヶ月前のモックドラフトでヤニスの指名順位を見てみよう。

SB Nation:21位指名でジャズへ
Draft Express:29位指名でサンダーへ
NBA.con:22位指名でネッツへ
ESPN:29位指名でサンダーへ
SI:1順目指名なし
CBS Sports:19位指名でキャブスへ

(HCのブデンホルザーとアシスタントコーチのケニー・アトキンソン)

 

イタリアでの6月はじめのU20の試合の後で、イーストのドラフト10位代の2チームがヤニスに興味を持った。ホークスとバックスだ。ドラフト17位のホークスは、実際のところもうヤニスは取ることができないと思っていた。しかし、その後のフランスで行われたギリシャ代表の試合にも当時アシスタントコーチだったケニー・アトキンソン(ネッツのヘッドコーチを経て現クリッパーズのアシスタントコーチ)を送った。

ヤニス:「フランスにいた時、誰かがロビーで自分を探していると聞いたので、その人を探しに下に降りて行った。それがケニー・アトキンソンだった。彼はラップトップにホークスがコービーと戦ったクリップを持っていた。そして、それを見ながら質問された。”このシチュエーションでどうする?” “パス”と答えた。”(次も)このシチュエーションでどうする”と聞かれ、”パス”と答えた。また”このシチュエーションでどうする”か聞かれ、”パス”と答えた。”パスが好きなんだね”と言われた。”私はバスケットボール選手だ”と答えた」

ヤニスは、ホークスがわざわざ自分の意見を聞くためだけにフランスまでやって来てくれて、大切にされていると感じた。

ヤニスのエージェントのサラトシスは、ホークスのGMのダニー・フェリーとアシスタントGMのウェス・ウィルコックスと集まって、ヤニスの未来について話をしていた。

(ダニー・フェリーとウェス・ウィルコックス)

 

サラトシスはホークスを気に入った。ホークスは常にヤニスを気にかけてくれていたし、ヤニスのデベロップメントについても話をしていたし、ケニー・アトキンソンとも話していた。ホークスには、サンアントニオ・スパーズの系統のGM(フェリー)とコーチ(バド・ブデンホルザー、現バックスHC)がいる。外国選手のヤニスにとってホークスは最も合っているチームだと感じた。

サラトシス:「ある時ダニーは、”ヤニスは連れてくる。ただし、ドワイト・ハワードやクリス・ポールを連れてこれたらだ”と言ったが、私は”今ヤニスにコミットしないなら、それまでだ”と返した。そしたらダニーはすぐにOKしてくれた。それがいわゆる”ドラフトデー・ギャランティー”というやつだ」

これでヤニスのNBA入りが100%決まった!

エージェントは、その「ドラフトデー・ギャランティー」を守るために何でもやる。

サラトシスは、他チームにヤニスのメディカルのアクセスを拒否し、ワークアウトやインタビューを拒否した。これで謎だったヤニスがさらにミステリアスになった。

ダニー・フェリーGM:「ホークスはFAの目的地ではなかったため、ドラフトが重要だった」

その年のホークスのドラフトは2つ。No.17とNo.18だ。15位のバックスのちょっと後だった。

 

ドラフトまで2週間。ヤニスはドラフトが行われるニューヨークに行く前にアトランタへ行くことになった。ホークスは、ヤニスが所属することになる球団を紹介したかったし、なによりもヤニスのフィジカルをしなくてはいけない。ホークスはこのことは誰にも知られたくなかった。

ヤニスは飛行機に乗るのを嫌がっていた。最初は彼の家族全員が一緒じゃなければ行けないと言っていた。あの時のサラゴサの時のように…

サラトシス:「ヤニスは簡単に意見を変えない。信念も強く、良い価値観がある。飛行機に乗らなかったらすべてが無駄になる可能性があった」

ヤニス:「ホークスは私1人で来いと言ったが、私は”あり得ない。兄弟家族と行く”と返した。 父は行けと行ってくれた。それが家族全員のためになる… 結局、タナシスと一緒に行くことになった…」

ドラフトまで2日。ヤニスとタナシスはアトランタへ飛んだ。はじめてのアメリカだった。

ホークスは、他チームに自分たちの指名を知られたくなかったため、球団内のドラフト情報統制に細心の注意を払った。GMのダニー、アシスタントGMのウィルコックス、オーナー、バド(ブデンホルザー)、ケニー以外は誰もヤニス指名のことを知らなかった。ヤニスが来る当日に皆に知らせて、誰にも言わないように釘を刺した。

ヤニス:「誰にもそのことを言ってはいけなかった。ドラフトを約束された。父には、”彼らは私に、帰ってきたら生活が変わり、生活が良くなると言っていた”と話した。なぜかわからないが、私は札束と一緒に帰れると思っていた」

 

アトランタに着いたヤニスは、まずチキンウィングを食べに連れて行かれた。ヤニスはチキンウィングが何か知らなかった(ヤニスはほとんど何も知らなかったが…)。お腹を満たした後、ホークスのアリーナへ行って見学した。そこでダニー、ウィルコックス、ヘッドコーチのバドと会った。

タナシスと一緒にアリーナを訪れたヤニスは喜びと興奮で目には涙が浮かんでいた。ヤニスは「これが私の人生になる、世界一のリーグでバスケができる!」そう思った。

 

さっそくヤニスは練習できるか聞いた。何でもできると言われたので、2時間も練習した。

ヤニス:「練習が終わって、服を着て帰ろうとしたら、シャワーがあると言われた。”シャワーがあるのか?”と驚いた。彼らは私たちにとても良くしてくれた。いい思い出だ…その時(ロッカールームに)ジョッシュ・スミス*のイスがあって彼になりきって座ったりした」

そして、その時たくさんのギアをもらった。当時のヤニスは、それがNBAドラフト候補には当たり前のことだったのを知らなかった。

ヤニス:「貰ったギアは返さなかった。まだ持っている。フリップフロップ、シューズ、ソックス… 誰からも靴下なんてもらったことなかった。いっぱいもらった。私は彼らに忠告したんだ、”あなたたちは知らないかもしれないが、私が来たところでこんな事したら何も返してもらえないよ”。彼らは、”違う、これはあなたのものだよ”と言ってくれた。シューズをたくさん貰って、スーツケースにいれて家に持って帰った。コスタや父も履いてくれた。引退したらスカウトになって才能ある若者を見つけようと思ったほどだ。ホークスへ行きたかったのは、彼らがケアしてくれたからだ。もしアフリカの子供達にシューズをあげたら彼らはその事を一生忘れないだろう」

ヤニスはフィジカルを一度もしたことがなかったので、フィジカルを受けた時は怖かったそうだ。

ヤニス:「ホテルには別の名前でチェックインをして、SNSには何もあげるな、と言われた…フィジカルも裏口から入った。チキンウィングも店の隅に隠れて食べた。とても怖かった。通りを歩かないでくれと言われた。ドラフトされるためなら何でもするつもりだったので、ルールを守った」

ウィルコックス:「ヤニスたちを迎えにフィジカルへ行った時、彼らが大通りを歩いていた。公共の場にいるべきではなかった。忘れられない。彼らを素早く車に乗せた。彼らは背が高くアスリートに見えたから急いで隠した。ロッカールームで、ドラフト候補に配るギアをあげた。その時の彼らのリアクションは忘れられない」

ダニー:「医者が電話でこの選手は何歳か聞いてきた。私は18だと答えた。医者は年はもっと行っていないか聞いた。私は若いかもしれないと答えた」

その日の夜、ヤニスはダニーの家に行って食事をした。ヤニスはダニーと、弟たちが通える学校や住む場所について話をした。

(かつてのダニー・フェリーのサンアントニオの家)

 

ヤニス:「私たちはダニーの家で卓球やチェスをして、パスタを食べた。ダニーの家はデカかった。NBAの金でこれが買えるのか? と思った。私は、”Mr.フェリー、心配しなくていい、こんな家を家族に買ってあげられるなら、ベストを尽くして一生懸命練習する。心配するな”と言った。その時、コーチのバド(ブデンホルザー)も家族といたかもしれない。彼は怖かった。土の中を走らされるかと思った」

(ヘッドコーチのブデンホルザーとダニー・フェリー)

 

ホークスの訪問は大成功だった。

ヤニス:「みんなとは数日後に会おうと言って別れた。でもそれは叶わなかった」

 

*ジョッシュ・スミスの名前はPart 1.にも出てきます

次回が最終話:いよいよドラフトです。ホークスとヤニスに何があったのでしょうか。


参考サイト:Woj Pod