ラマーカス・オルドリッジの引退インタビュー

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ラマーカス・オルドリッジは、心臓病のために4月中旬に突然引退したが、その後家族とともに平穏を取り戻している。

オルドリッジは15年もの間心拍が速くなることがあるWPW(ウォルフ・パーキンソン・ホワイト)症候群を患いながらNBAでプレーし続けていたが、4月10日のレイカーズ戦で脈が不規則になり、どうするのかすべてを考え直さなければならなくなった。

そして、7度選出のオールスター(1029試合で19.4得点、8.2リバウンド、1.1ブロック、2アシスト)は愛するバスケから正式に距離を置く決断をした。オルドリッジはゲームよりも健康と家族を選び、バイアウトで加入したブルックリン・ネッツのメンバーとして4月15日に引退した。

オルドリッジ:「私は落ち込んでいる。フロアでコンピートしない生活をどうやって過ごせばいいのか、どうやって落ち込まないようにしればいいのか学んでいることろだ。」

オルドリッジは調子を取り戻し、ホルター心電計を装着するなど心臓のさらなる定期的な検査を受けはじめた。彼はプレーオフのためにネッツに合流し、元チームメートやコーチと時間を過ごすつもりだったが、リーグのコロナウィルス対策でそれをするのは難しかった。オルドリッジ(35) はシーズン後にコーチになることも検討すると言った。

バスケットボール選手としてのキャリアを終えてからの初のインタビューの中で、オルドリッジは引退の決心について幅広く話してくれた。彼の人生で最も恐ろしかった夜、ポートランド、サンアントニオ、ブルックリンでのこと、デミアン・リラード、キャリア唯一の後悔、ブランドン・ロイとグレッグ・オーデン等…

結局のところ、引退を決意した理由は何だったのでしょうか?

それはとても厳しい選択だった。ユニフォームを脱ぐ準備ができていなかったことは確かだったし、ネッツやチームに与えられることがまだたくさんあると感じていた。彼らには私のスキルやゲームが必要だと思っていたため、その決断をするのは本当に大変だった。彼らにはインサイドのスコアラーとリムプロテクターが必要で、特にキャリアでこのフェーズにいる私にはそれができていたからだ。

私は、キャリア通してWPWや心臓のコンディションと付き合ってきた。私の心臓にそのような問題があるとはじめて知ったのは、私がルーキーだった2006年だった。何年かの間に何度か再発し、私たちはそれについて調べてきた。医者たちは問題が何もないか確認するために検査をしてきた。

レイカーズ戦は妙な試合だった。心臓がおかしな鼓動をはじめ、脈のリズムが乱れていた。試合中ずっとリズムが乱れていた。そんなことは今まで一度も経験したことがなかった。普段、コートに立つときは、心拍数を上げて規則正しいリズムを刻むか確かめるんだ。試合中にリズムが崩れたことはこれまで一度もなかった。

(ラマーカスのキャリア最後の得点)

その試合で心臓のリズムが乱れたので、私は力を出すことができず、プレーすることができなかった。どうしても調子をあげることができなかった。何が起こっているのかわからなかった。そしてその夜遅く、私はほんとうに恐ろしい経験をした。

心臓が今までとは違う鼓動をしていて、それは今まで感じたことがないくらい変わったものだった。あんなに遅くて、あんなに速いのは経験したことがなかった。あの夜起きていたことはただ狂っていた。何が起きたのか調べてもらうために朝はやくに医者に行かなければならないと思っていた。

基本的に、その夜はとても恐ろしいものだった。そして、私には子どもがいて、母がいて、私を頼りにしている多くの人がいて、この先会いたいと思う多くのひとたちがいるのがわかっていた。私はこの状態で15年間プレーできたことは神からの祝福だと感じ、もうムリをしたくなかった。

4月10日に最初の不規則な脈を感じたのはいつですか?

最初に感じたのは試合の朝だ。それで私たちはそのことについて検査してみた。でも検査結果は、コートに立って走り始めると、心拍数が上がり、いつもの規則的なリズムに戻るので大丈夫なはずだと言っていた。それが戻ってくることはまずないだろう。試合中は誰もそのことについて知っていなかった。なぜなら、私はただこう考えていたからだ: 「おい、もし私がこのままプレーし続ければ、良い方向に向かうはずだ。良くなるんだ。良くなるんだ」

コーチのイーメイとは本当に仲がいいのですが…もし私がイーメイに向かって走って行き、肩と肩をぶつけ合って、自分を奮い立たせて自分の回転をあげようと思っていた。私のケーススタディーでは、心拍数を上げると正常に戻るはずだった。だから私は彼に走って行ってぶつかってリズムを変えようとした。試合の後、私たちが話している時、彼は私が今までそんなことをやったことがなかったので、なぜ私がそれをやり続けいたのに気づいた。リズムを元に戻すために何でも試したけど、それが元に戻ることはなかった。それは自分を自分らしく感じない長いゲームだった。体を動かすことができず、心臓の鼓動がおかしくなり、それが気になってエネルギーをあげることができなかった。

夜はどうなりましたか?

試合が終わってもまだ乱れていた。そして、朝の2時か3時になると、それは本当に狂ってしまった。私の心臓は本当に狂ったように鼓動し、気分がとても悪くなった。朝も2時から5時の間、私はただ呼吸をしようとしていた。そして5:30頃、チームドクターにテキストを送って病院に行った。それはおそらく今まででいちばん恐ろしい夜だった。

それが私のコンディションの難しいところだ ー それは、本当に、本当に悪化することもあり、また正常に戻ることがある。その夜を何とか乗り越え、病院に着いてから心臓の鼓動を調べるために心電図をはじめすべての検査をした。その頃にはいつもの普通の鼓動に戻っていた。それが自分のコンディションが更に不安になった。一晩中ひどい気分で、突然医者のところへ行った…うるさい音を立てている車をディーラーに持って行ったけど、その時はもう音はしていなかった状態に似ている。私は言った:「昨日の夜状態が悪化して病院に来たけど、彼らにはその痕跡を見ることができない。さらに不安になるのは、彼らには何が問題なのか見つけることができないことだ。何が問題なのかを知る唯一の方法は、リズムが狂った瞬間をピンポイントで割り出すホルター心電計を2、3、4日間装着しなければいけない。

もしそれがわかれば、それをどう落ち着つかせるかがわかるので、それをするのは理にかなっている。でも、病院へ行っても経験した症状を何も見つけられないのはトリッキーだ。今は鼓動は正常だけど、次の瞬間は悪くなっているかもしれない。それがいつ起こり得るのか誰も正確に把握できない。それはとても予測が難しく、プレーを続けてその夜起きたような経験はもうしたくなかったし、危険を冒したくなかった…

誰も悪いことが起こるかどうかなんて100%わからない。2006年にはじめてそれが起きた時、私はベンチで意識を失った。その時にはじめて私にこのような症状があることがわかった。もし私がコートの上にいて、相手のビックがレーンを襲ってきた時に、私の心臓がおかしな鼓動を打って意識を失ったら? 相手がそのまま私に衝突すれば、私は床に頭を打ち付けて、体が付随になってしまうかもしれない。私がダンクへ飛んで気絶したら?悪い事故が起こる可能性は山ほどある。

あなたが引退を決意したことをチームに伝えた時、どれくらい感情的でしたか?

つらかったよ。私はすぐにケヴィン(デュラント) に話した。私がバイアウトしてウェイバー市場に出た時に、彼が最初に連絡をくれたので、私はまず彼に敬意を払って、最初の連絡は彼に入れたかった。最初、彼はそれを聞いてショックを受けていたと思う。私の言っていることを信じられなかったか、理解できなかったのだろう。それからまた彼とは話をした。彼らは私がいて良かったと思っていると感じた。だから電話では感情的にならなかったが、その後に少し感情的になった。

そうなったばかりの時には、誰かに 「私は引退したよ」 と言うたびに感情的になるのは当たり前だ。私は今ハッピーでいる方法を見つけようとしている。私はまちがいなく落ち込んでいて、どうやって立ち直ればいいのか探っていた。あまりに衝撃的だったので、自分自身を再発見する方法がわからなかった。

私はジェームス (ハーデン) とも話した;彼はただ何が起きたのか知りたかった。私は「体が動かないって言い続けていた時を覚えているか?」と聞いた。彼は「はい、あなたが言っていたのはシュートとかのリズムだと思ってた」と言った。私は「いや、それは私の心臓のことだ」 と言った。彼は「マン、それは知らなかった」 と言った。

彼らはみんな、何かがおかしいというサインに気づいていた。しかし、何なのか知らなかった。だから、私がなぜそう言っていたのかを説明すると、彼らにはすぐにわかってもらえた。彼らは私がコートにいた時から引退するまでに何が起きたのか理解しようとしていた。

ブルックリンに入ろうと決めた話に戻りますが、どうやってそう決めたのですか?外から見ている限り、それは選択肢にさえ見えませんでした。

私はスーパーチームをつくるためにブルックリンを選んだ訳ではない。彼らが必要としているもの、彼らがやろうとしていることに私がぴったりとフィットしたからだ。彼らの課題は得点できるビックがいなかっただけで、私にはそれができた。そして、彼らはゲームの終盤にシュートだけではなく、相手のビックを守れるビックを欲しがっていた。それが私だ。彼が欲しがっていて必要としていたのは私そのものだった。私が彼らを選んだのは、彼らが必要としているものと私自身のフィットがあったからだ。

初日から、彼らは次のように言っていた:ポストアップして欲しい;そこで得点して、スリーを撃って、リバウンドしてくれ… 彼らが必要としていた選手がまさに私だったので、合わせることはむずかしくなかった。だから私は 「なぜネッツへ行かないのか」って感じだった。

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みんながスーパーチームだと言うのもわかるけど、ブレイク (グリフィン) はデトロイトではプレーしていなかった。彼らは若返りたかったからだ。私も彼も終わった選手だった。でも2人して同じチームに来たら、彼らはズルいと言う。2人のチームでプレーできていなかった選手がいて、彼らのチームは彼らなしで前に進もうとしているんだ。だから、彼らはこのチームに加わったんだ。だから1週間前、私は終わっていて、その1週間前にブレイクが契約した時は、彼も終わっていた。そして突然、今私たちがズルをしていると言う。私にとって、この話全体がどうなったのかを見るのはただおかしかった。

私が彼らを選んだのは、私が何かを捻じ曲げたり変えたりする必要がなかったからだ。彼らはジェームズとケヴィンとカイリー(アーヴィン) のためにスペースを空けることができる選手を欲しがっていた。それが私だ。私はディフェンスでもビックも守ることができる。4Qの残り5分で相手に支配的なビッグがいる時に私を試合に入れれば点を取り続けることができる。得点を犠牲にすることなく、相手の大きなビックを守ることもできる。

ポートランドで最初の9シーズンを過ごし、オールスターチームに4回選出され、何年かプレーオフ進出候補の中に入った。あなたはそこでの期間をどのように振り返っていますか?そして、あなたが出て行ったことに関して後悔していますか?

過去のことを今さら悔やんでも仕方がない。年を取るほど賢くなり、物事がよりはっきり見えるようになる。年を取るにつれて、エゴがなくなって行き、傷つくことも少なくなると思う。もしかしたら、そのすべてが本当なのかもしれない。私が唯一思い返すのは、デイム(リラード) ともっと良い関係を築けるように努力していればよかったということだ。私たちは2人とも、自分の仲間だけと話をしていたような気がする。それも私たちの関係が息苦しくなった理由のひとつかもしれない。でも、それから2人の関係は確実に良くなった。みんなは私のキャリアだけを見ているが、私がどうやってここまでたどり着いたのかは理解していない。

私は2位指名だったけど、 実際は (チームの人たちは)私のことをプロジェクトだと言っていました。だから彼らにとって2位指名をしたつもりもないし、「おい、こいつが俺たちの中心選手だ、こいつのためにプレーしよう」とも言わなかった。私は2位指名で、1年目はあまりプレーしてなかった。キャンプにも出れなかった。

彼らはブランドン・ロイのためにプレーした。私も2位指名で、 「おい、私も2位指名だった、私のことも信じてくれ」 と思った。しかし、実際には信じてくれなかった。私のことは後回しだった。そして、それから私たちはグレッグ (オデン) を手に入れた。だから、グレッグがうまくプレーしていた時、私はまた後回しにされた。そして彼らは私をトレードしようとした、だから、私はすぐに彼らが信じている選手になれなかった。それが時としてちょっと微妙になった理由だ。なぜなら、アンドレ・ミラー、ブランドン・ロイ、グレッグ・オーデンが健康になった時はいつも、…私は後回しにされてトレードをされるような選手だった。

そして、みんながケガをしたので、彼らは必要に迫られて私を表に出した。それで私はやっと自分になるチャンスを得た。2位指名の時、ほとんどの人が「おい、お前もこのチームの一部だし、チャンスもあるよ」って感じだったのが私にはおかしく見えた。私の場合は…私はプロジェクトだったけど、一体誰がプロジ2位でプロジェクトになるような選手を選ぶのか? ザック・ランドルフがいたのは理解している。

だから、私のスタートは理想的なものではなかった。私はいつもでも簡単に切り捨てられる駒だった。不幸にも、彼らがケガしたので私がメイン選手になった。それは:「ああ、彼は良いね」って感じだった。もっと早くチャンスを与えてくれていれば、もっと早く良い関係を築けた思う。私の役割は、みんなが思っているほど簡単なものではなかった。私は自分のチームを持つために、それを勝ち取らなければいけなかった。私はそのために何年も戦わなければならなかった。それを手に入れた時は誇らしい瞬間でした。

私はただ、デイムともっとたくさん話をしてより良い関係を築いていたら良かったと思う。それができなかった理由のひとつには、彼はまだ若くて、自分の道を見つけようとしていて、そして私は自分がいた場所にたどり着くために懸命だったからだ。唯一後悔しているのは、もっと努力してデイムと良い関係を築ければよかったと言うことだ。

(Photo by Sam Forencich/NBAE via Getty Images)

あなたが言ったように、ブランドン・ロイとグレッグ・オデンは2シーズンの間、ケガのために少ししか3人揃ってプレーできませんでした。どのくらいよく 「ビッグ3」 を振り返っていますか?

私はB・ロイといつも一緒に、もしグレッグとB・ロイが健康でいられたらどうなっていたか振り返っている。私たちはファイナルズまで行けたはずだ。もし彼らが健康でいてくれたら、私たちは今もまだそこにいたんだと思う。私はそのチームにはすごく大きな可能性があったと感じている。…グレッグとブランドンと私がいた時は50勝12敗だった。あの時のグループがどうなっていたかについて考える。

(Photo by Kent Smith/Getty Images)

そしてデイムのことも考える。彼はまちがいなく成長したと思う。彼はまちがいなく今最もクラッチでエリート選手の1人だ。だから、もし私が残り、今やっていることをやり続けて、彼が今の彼に成長していたら、私たちはどうなっていただろうかと考える。良いワンツーパンチだと思う。そして今活躍しているCJ (マカラム) もいる。3人が一緒なら可能性は無限大だ。

私は現実主義者でもある。だから、私が去ったことはデイムにとって良かったと思う。なぜなら、彼は私と支配的な性格を共有しなくても良いからだ。チームは彼のものだった。その後、彼は急成長し、球団とゲームに彼の爪痕を残しはじめた。物事には理由がある。そして、彼とCJはお互いよくプレーできて、交代で得点している。それでリム下の選手を引きずり出す。もし私たちが一緒にいたら、何か特別なことが起きていたのは確かだ。

それからあなたはスパーズに行き、2シーズン連続で60勝シーズンを経験し、2017年にはウエスタン・カンファレンスのファイナルズに進出します。サンアントニオでの5シーズン半についてどう思いますか。(スパーズは、そのシリーズのゲーム1で、足首の怪我でカウイ・レナードを失うまで、ウォリアーズ相手に25点もリードしていた。ウォリアーズがシリーズを制した)

楽しかった。スパーズに行くとファミリーになる。彼らが選手を連れてくる時、彼らはその選手をファミリーに迎え入れるんだ。

私は殿堂入りの選手たちと楽しくプレーした。ティム (ダンカン) 、マヌ (ジノビリ) 、トニー (パーカー) 。彼らは私のゲームをより簡単にしてくれるし、彼らのストーリーの一部になることは私にとってクールだった。なぜなら私たちは2年連続で60勝したからだ。

(Photo by Rick Bowmer/AP)

ダラス出身の私にとって、スパーズでの時間は楽しかった。私はいつもマーベリックスやスパーズでプレーすることを考えていたので、実際にスパーズに行き、3人の王朝の一員になり、そこにいる時間を楽しんだ。カワイがいなくなるまで、私たちはもう少しのところまで来ていた。何が起こるかわからない。あのシリーズは今でも夜に私を時々起こす。

私たちは1Qに25点リードしていて、前半もリードしていてゲームをコントロールしていた。それからカワイがケガをしてしまった。あとは私だけだったので、彼らは私にダブルしてきて私をブロックにいさせないようにした。その試合は負けてしまった。あの年は全てが可能だった。もしカワイがケガをせずに、あの試合を勝っていれば、あの年はなんでも可能だった。だからそのシーズンから離れるのはまちがいなく困難だった。私はリングを勝ち取ったことはないが、それはまちがいなく私のチャンスだった。そこまで行くランは楽しかったし、すばらしいシーズンだった。みんなもそれを楽しんだ。

私たちは両サイドで良い結果を残した。ポップ (グレッグ・ポポビッチ) と私は最後にたくさん話し、私が引退した後には電話もしてきてくれた。彼は、「OKか?何か必要なものがあれば言ってくれ」と言ってくれた。

ポップと私はずっと会話をしていた。彼はヤコブ・ポートルをプレイさせて、若いチームで行きたがっていた。でも私はまだプレー時間を手放す準備はできていなかった。私たちは、彼と球団にとって若返ることがより良いことだ納得し合った。私たちの考えは同じだった。私たちはコミュニケーションを取り、それについてのたくさんのすばらしい議論をした。私はそこで素晴らしいランをしたと思っている。私はそこで楽しく過ごした。素晴らしいシーズンもあった。最後の方は理想的ではなかったが、すばらしい瞬間とすばらしい時間を過ごした。お互い悪いとは思っていないと思う。どのチームも若返る時を選ばなければならない。彼らはちょうどその時にいた。私は自分のキャリアのステージに合ったチームに入ることができた。だから彼らへの想いには、愛とリスペクトしかない。


参考サイト:A conversation with LaMarcus Aldridge: On the scary night that ended his career, battling depression, his biggest NBA regret and more
サムネイル画像:Photo by Jim McIsaac/Getty Images